little man note,

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京アニ放火 青葉被告 小説落選、生まれた憎悪

mainichi.jp

青葉真司は幼少期に両親が離婚し、父親に引き取られた。しかし、やがて虐待を受けるようになった。

中学時代は不登校だったが、高校は定時制に通い、皆勤だった。友人もいた。ところが卒業後に通った専門学校に馴染めず中退し、8年働いたアルバイト先では人間関係を拗らせて辞め、そこから徐々に歯車が狂っていった。

自分のことを「底辺」だと感じていたという。そして小説を書くことに一縷の望みを託していたが、小説家への道のりは遠かった。次第に憧れていた京都アニメーションに逆恨みするようになり、事件を起こした。

青葉は高校時代を振り返り「友人がいた。いい時代だった」と話したそうだ。しかし青葉は大人になるにつれ、孤立していった。青葉と“社会の結び目”はどうして作られなかった/途絶えたのだろう。

青葉は「底辺」という言葉を使い、自らレッテルを貼っている。そして、誰かと比較することで、自身の“どうしようもなさ”を確認してきた。そういった言動を繰り返すことで、孤立化が深まっていったのではと思う。

社会から疎外された人は、社会での存在意義をなくしてしまう。そして、社会の秩序を乱すことへの抵抗が薄くなる。また青葉が事件を起こしたのは、自身の“物語”が欲しかったから、とも思う。

しかし青葉のような人が今いるとして、どうすれば社会と彼らを結ぶことができるだろうか。社会からこぼれないようにするには、もしくは社会が彼らをこぼさないようにするには。

いっぽうで問題を起こさないように結び目を作ろう、という考え方も本末転倒に感じる。というか、なんだか優しくない。つまるところ、「社会にはいろんな人がいて、そのことを理解し、認め合う社会を構築することが大事。そして、自分がどんな人間であっても受け入れられるように。そのためには、多様な人が存在する場をもっと増やしましょう」と考える。

事件前の青葉に、私なら「1人で全部解決しなくていい」と声をかけるかもしれない。